文具と事務機のポータルサイト・株式会社ニチマ:文具の業界はあなたのライフ&ワークスタイルを支えています。

文マガ 文具流通マガジン

谷川商事株式会社

文マガ 文具流通マガジン

ホーム > ニュース

ニュース

谷川商事株式会社

ニュース

2019年05月16日

立派な報告ができたと会長 セキセイ「西川治子氏生誕100年感謝祭」 

西川治子さん(左)と誠一郎氏(右)の遺影

西川会長夫妻、智也専務と知己友人たち、西川会長と親交の深い歌手西口久美子さん(前列右)を交えて

  オフィス用品・パーソナル文具メーカーのセキセイ(大阪市、西川雅夫会長)の実質的創業者、西川誠一郎氏を支えて貢献した治子夫人の「西川治子生誕100年感謝祭」が、5月10日12時からホテルニューオータニ大阪で催され、同社執行部、幹部社員と生前の故人に親交があった人、親族など50余人が集まっ
た。

 12年前の2007年、誠一郎元会長の生誕100年祭に続き、長男の雅夫会長にとって両親への供養の催しとなった。

 感謝祭では、西川会長が同社創業以来の沿革・現状と、誠一郎会長の死後、治子夫人が会長職に就いて経営全般にわたり雅夫社長(当時)を支えた経緯を説明した。

 同社の始祖は京都・太丸に勤めた社員(西川会長祖父)が独立し、昭和7年(1932年)5月、太陽堂の名称で文具紙製品の小売業を始めたことが創業の始まり。

 後継の西川誠一郎氏が、太平洋戦争で召集された後復員して再興、文具卸業を開業した昭和24年(1949年)12月18日を法人設立日とした。

 治子さんは大正8年(1919年)5月に生まれ、昭和14年(1939年)、遠縁の誠一郎氏と結婚、男2人女3人の子宝に恵まれた。現西川会長は昭和23年(1948年)次男として出生、長男が早世した中で、甲南大学を卒業、近畿リコーに勤務し1年後にセキセイ入社、同社興隆の立役者の道を歩み、昭和60年(1985年)、厳父誠一郎氏の死去後、社長を継いだ。

 治子さんは昭和63年(1968年)会長に就き、平成24年(2012年)1月29日に94歳で死去するまで、グループ会社の会長・相談役を務めあげた。

 西川会長に続いて登壇した、ニチマ福地誠社長から「50年前に沖縄が日本に返還する前の沖縄・那覇市の座間味紙店で初めて西川誠一郎、治子夫妻に出合い、それから長いお付き合いが続いた」とエピソードを交え、堅実な後継者あっての企業存続という激励の言葉が贈られた。

 感謝祭の席上、生前の治子会長に指導を受け、又ねんごろに思いやりを受けた同社幹部とOBによる思い出話、西川会長の甲南大学時代の学友たちの治子さんを偲ぶエピソードがそれぞれ語られ、故人に思いをはせた。

 セキセイ製品を広く手がけている香港のパーフェクトヒーロー社・河合宏紀代表夫妻など、長く友誼を保ってきた海外からの来訪者のコメントも紹介された。

 続いて、東京から歌手の西口久美子さんが、青い三角定規時代にヒットした「太陽がくれた季節」「青春の忘れ物」など熱唱、参加者は懐かしい時代の回顧にひときわ話を弾ませていた。

 治子前会長と夫君の誠一郎さん遺影をみながら歓談に花が咲き、午後3時すぎ、「川の流れのように」を全員で合唱、中締めとして、専務取締役西川智也氏より、西川治子生誕祭、元号令和という節目を機に、セキセイの社是である「誠実、努力、向上心」をもとに、さらに頑張っていく所存であると述べ、参加者の方へ御礼の挨拶で、西川治子生誕100年感謝祭は、お開きとなった。

 西川会長は自身創案の2016年伊勢志摩サミットで各国首脳に配った輪島塗りボールペンの提案勝ち取りの裏話、すでに3部作上梓の「なんでやねん」替え歌の披露、「セキセイインコの日」制定の認可運動、フィンランドデザインの製品開発ストーリーなど、亡き母への盛業報告を述べた。

 同氏は「70歳を超える人生で、公私師にわたって多くの先輩友人たちの教えと支援があった。会社の社員諸君と、また同年の妻の支えで今日まで来ることができ、おかげで元・前会長に立派な報告をすることができた。篤くお礼申し上げます」と、感謝の気持ちを伝えた。


□ 治子氏と現会長の二つの「奮闘記」

 近江八幡で士族の娘に生まれ、成人して西川誠一郎氏と出会い結婚、5人の子女を産み育て、夫君を助けセキセイ発展を見守りながら旅立った、治子前会長の長い人生を要約した冊子「西川治子奮闘記」と、大手日刊紙に掲載されたロングインタビュー「語り部の経営者たち 西川雅夫会長奮闘記」が出席者に手渡された。

[最近の記事一覧]

過去のニュース一覧


TOP